■にいつ丘陵周辺の遺跡の最近のブログ記事
10月15日(土)・16日(日)に、国史跡の古津八幡山古墳で現地説明会が開催されました。
土曜日は雨だったにもかかわらず、あわせて350人程の皆さんが熱心に説明に耳を傾けていました。
古津八幡山古墳は、直径約60mの新潟県内最大の古墳です。
古墳の南側にある濠は現在も地表から見ることができます。 濠は大きいところで幅が10m、深さが6mもあります。
濠を掘って出た土を盛り上げて、古墳を造っているそうです。
来年度は埋葬施設の調査。その後、古墳の復元整備の予定だそうです。
新津美術館わきにできた展示施設が来年春にオープン予定です。そこで、八幡山遺跡から出土した土器や石器などが展示されます。完成が楽しみですね。
現地説明会資料はこちら【PDF1.59MB】(新潟市文化財センター)
投稿者 : akihaku | コメント(0) | トラックバック(0) |
県内最大規模の古墳・古津八幡山古墳で、10月16日、現地説明会を開催します。
この古墳は現在、史跡整備のための確認調査を行っており、当日は現場を公開し、調査成果について説明を行います。

-
とき 平成23年10月16日(日) 午前10時~午後3時
※午前10時と午後1時から職員による説明があります
-
ところ 古津八幡山古墳(古津地内、新津美術館裏山)
-
申し込み 不要
-
問い合わせ 市文化財センター(電話025-378-0480)、発掘調査現場(電話090-1450-1120)
※車で来場する場合は、新津美術館駐車場をご利用ください
※荒天時は、現場で調査の概要を説明します
投稿者 : akihaku | コメント(0) | トラックバック(0) |
花と遺跡のふるさと公園、古津八幡山遺跡周辺の里山の植物を観察してみませんか
。
植物観察会が行われます。
と き 平成23年9月6日(火) 午後1時半~3時半
集合場所 県立植物園駐車場
定 員 先着30人
申し込み 電話で総合教育センター植物資料室へ
電話 025-228-0698
投稿者 : akihaku | コメント(0) | トラックバック(0) |
6月6日は「にいつ花ふるフェスタ」
です。
この協賛イベントとして、古津八幡山遺跡では、 参加・体験イベントが行われます。
会場には弥生時代の竪穴住居が7棟も復元されていて、タイムスリップ
できます。
ぜひ参加してみませんか。
投稿者 : akihaku | コメント(0) | トラックバック(0) |
原遺跡は、にいつ丘陵西面のゆるやかなお根にある縄文時代の集落の跡と考えられている遺跡です。周辺の標高は15メートルほどで、南北300メートル、東西120メートルと広いはん囲です。
遺跡の位置(5万分の1地形図「新津」)
古くから知られていた遺跡で、明治29(1896)年には石器時代の遺跡として『東京人類学雑誌』に報告されています。発掘 調査はされていませんが、多くの研究者によって調べられ土器や石器などが採集されてきました。採集された縄文土器は、中期のものと後期のものとに大きく分かれます。発掘調査されていないため、他の時期もあるかもしれませんが、第4話でしょうかいした平遺跡と同時に存在した時期があったのはまちがいないでしょう。
採集された土器
採集された石器
石器では石のやじりが50点ほどと多く、長さ12センチメートルの大形の石器や、一辺8センチメートルの三脚状の石器など、市域では発見例の少ないものも採集されています。
石棒
上の石の棒は長さ27センチメートルのほぼ完全な形のもので、縄文時代後期の石棒と推定されています。
土偶の頭部片
また、顔の幅が7センチメートルの土偶の頭部片があります。時期は不明ですが、平遺跡のハート型の顔と比べ、写実的です。大きな集落であったため、このような希少なものが採集されたのかもしれません。 原遺跡と平遺跡とは直線で3.3キロメートルしかはなれていなかったため、顔を合わすことも多かったでしょう。大きな原遺跡と小さな平遺跡に暮らした人々は、どのような村(ムラ)付き合いをしていたのでしょうか。
【平成19年発行 新・新潟歴史双書2「新潟市の遺跡」】より
投稿者 : akihaku | コメント(0) | トラックバック(0) |
平遺跡は、にいつ丘陵の東側に最も張り出した部分にある縄文時代の遺跡です。遺跡の範囲は、南北70メートル、東西60メートルほどと推定されています。標高は15~21メートルで、西から東に向かってゆるやかにけいしゃしています。遺跡から東へ100メートル余りを能代川が流れています。

遺跡の位置(5万分の1地形図「新津」)
昭和56(1981)年に、個人の住宅建築にともなって旧新津市の教育委員会が213平方メートルを発掘調査しました。その結果、縄文時代中期初め(約5000年前)からと、後期初め(約4000年前)からの二つの時期にわたる集落跡であることがわかりました。発見された主なものは、竪穴住居跡が二棟、貯蔵穴と考えられる土にほった穴がひとつでした。遺跡から発見されたものは約2万1000点の縄文土器のほか、土錘(漁で使う網につける土でできたおもり)・土偶などの土製品、石鏃(石で作ったやじり)・石錘(漁で使う網につける石でできたおもり)・みがいた石おの・打ちつけて作った石おの・くぼみ石・すり石・石皿などの石器と各種にわたっていました。また、黒曜石(黒色でつやのある石)にそっくりな黒色石英の原石もあり、この原石はにいつ丘陵産と推定されました。竪穴住居は二棟とも台地のふちの斜面につくられ、一棟が中期、もう一棟が後期の住居跡でした。このうち後期の1号住居跡がほぼ完全な形で発掘されました。

1号住居跡
1号住居跡はしゃ面を段状にした上にくつられたもので、ゆかの大きさは南北3.6メートル、東西4.2メートルの円形です。しゃ面の上の部分には、はば数十センチメートルの高い段とみぞが半周しています。雨降りのときのはい水の役割のほか、物置にも使えるこの段状の施設は、しゃ面に竪穴住居をつくるときの工夫と思われます。いろりは、ゆかの一部を浅くくぼめただけのものが、二つありました。
平遺跡では調査範囲がせまいものの多くのものが出土しました。ここで暮らしていた人々が、漁の道具と考えられる石錘、狩の道具の石鏃、土ほりの道具と考えられる打ちつけて作った石おの、ドングリやヤマイモなどを加工するみがき石・石皿など、様々な道具を使って食料を得ていたことが想像できます。また、土偶などからは、まじないや遊び心を持っていたことが想像できます。

土偶の頭部片(左の幅約6センチメートル 縄文時代後期)

土錘状の土製品(1号住居跡出土 長さ約6センチメートル)
【平成19年発行 新・新潟歴史双書2「新潟市の遺跡」】より
投稿者 : akihaku | コメント(0) | トラックバック(0) |
今から1万2000年前ごろ、寒冷期が終わり、少しずつ気温があがり現在の気候になりました。この気候の変化とともに縄文時代がはじまりました。旧石器時代から縄文時代へかわる時期には「神子柴型石斧」と呼ばれる大形で刃先がみがかれた石おのが使われていました。長野県神子柴遺跡で明らかになった神子柴型石斧は、全国の300ほどの遺跡から発見されていますが、多くは一点だけの出土です。ところが、にいつ丘陵の愛宕澤遺跡では六点も出土しました。

愛宕澤遺跡の位置(2万5000分の1地形図「新津」)(秋葉区草水町二丁目)

出土した石斧
愛宕澤遺跡は、阿賀野川からわかれている新津川(旧、能代川)に近い、標高15~30メートルの丘陵の上にあります。平成10(1998)年と13年に旧新津市の教育委員会が発掘調査しました。
遺跡の近くには、過去に須恵器という青い色の焼き物の窯跡(草水町二丁目窯跡)が見つかっていることから、調査当初は古代・中世の窯跡や製鉄の遺跡があるのではないかと考えられていましたが、思いがけず縄文時代のはじまり(1万2000~1万1000年前)の時期の石器が12点まとまって出土しました。出土地は標高15メートル、出土範囲は5メートル四方ほどでした。12点のうち6点が神子柴型石斧で、他はれっ器(表面がなめらかな川原の石を打ちくだいて刃としたもの)などでした。石おのは六点とも折れていましたが、完全であれば15~20センチメートルほどの大きさと推定されます。
愛宕澤遺跡では、折れた石おののみが残されていて、石おのを加工するときに出る石くずが出土していません。このことは、この近くで石おのが使われ、折れたものが意図的に集められたことを示しています。
この時代は、日本列島に暮らす人々が土器を使いはじめた時期でした。残念ながら愛宕澤遺跡では土器は見つかっていません。発掘は限られた面積の調査であったため、近くにムラ(村)があった可能性もあります。近い将来、にいつ丘陵で新潟市最古の土器が見つかるかもしれません。
【平成19年発行 新・新潟歴史双書2「新潟市の遺跡」】より
投稿者 : akihaku | コメント(0) | トラックバック(0) |
越後平野では、旧石器時代の約2万年前ごろから、五泉市や阿賀野市の丘陵や山のふもとに遺跡が認められるようになりました。この時代は氷河期の最後にあたり、気温が現在より6度ほど低かったと考えられています。
にいつ丘陵の四季をいろどっていたのは針葉樹林でした。平野部の地面の高さは、現在よりはるかに低く、信濃川は大きな谷になって流れていました。人々は現在とはまるでちがう環境で生活していました。
この旧石器時代の道具が、にいつ丘陵の二つの遺跡から発見されています。
・「にいつ丘陵周辺の遺跡 第2話『旧石器時代の道具』」の続きを読む
投稿者 : akihaku | コメント(0) | トラックバック(0) |
新潟市の南部にあるにいつ丘陵は、南南西から北北東にのびるゆるやかな丘陵です。標高は南西部の菩提寺山で248.4メートル、北北東に向かって少しずつ低くなり、丘陵の一番北にある秋葉山の付近では70~80メートルです。丘陵の周りには、小規模な台地をはさんで、沖積地が広がっています。

にいつ丘陵周辺の地勢(国土地理院20万分の1地勢図「新潟」)
沖積地の西には信濃川が、ほぼ南から北へと流れ、東には阿賀野川が南東から北西方向へと流れています。
この二つの大きな川は、秋葉区の一番北にある小阿賀野川で結ばれています。にいつ丘陵の北東には能代川(一部、現在は新津川)が流れています。能代川は曲がりくねりながら新津市街を流れ、小阿賀野川に注いでいます。信濃川や阿賀野川の流れは、長い歴史のなかで何度も変化しました。沖積地のなかには、かつて流れていた川の洪水によって作られた自然の堤防やほんの少し高い土地があちこちにあります。
・「にいつ丘陵周辺の遺跡 第1話」の続きを読む
投稿者 : akihaku | コメント(0) | トラックバック(0) |